【読了】思考・発想にパソコンを使うな

新書です。副題は、「『知』の手書きノートづくり」。禁止形のタイトルに釣られて読んだのですが、正直「パソコンを使うな」の部分はおまけのような感じです。「どうして」パソコンを使うなというのか、はっきりした根拠は書かれていません。

この本の主張は、メモからノートをまとめようよ、というもの。ブログなどの「公表するアウトプット」へいきなり行くのではなく、メモをまとめて「公表しないアウトプット」をしようという。他人の目に触れる公表ありきで何かを書くのではなく、思考の場、知的フィールドとしてのノートで思索を深めることが必要、というものです。

じゃあ「メモ」と「ノート」、「ノート」と「日記」や「手帳」はどう違うの?という疑問が浮かびますが、それはいろいろな人の「表に出た活動や作品」とその「構想ノート」を取り上げることで何とか定義していこうとしています。遠藤周作の「深い河」と「『「深い河』創作日記」とか、宮崎駿とか。散らばるメモは残らないけどノートや日記は残るもんですね。そういう例が、読んでいて一番おもしろい部分でした。

自分では、本を読みながらメモ(いたずら書き)はよくするんですが、そこからノートをまとめるまではなかなか行きません。そうすると、忘れたり、メモ自体なくしたりして、考えたことは消えちゃうんですよね。それをノートまで持っていけるように、今後は改善していきたいと思いました。

最後に、192ページに登場するWEBディレクター(20代男性)が、というかその人のノートが魅力的。著者と電車移動中、著者の質問にA5リングタイプのノートを取り出し、簡単な図を描いて分かりやすく説明(プレゼン)してくれた彼。

ちらっと見えたノートの別のページには、手書き文字がびっしりだった。すかさず、何が書かれているのか尋ねてみたが、「自分の考えをあれこれ書いているだけですよ、恥ずかしいので見せられませんが」と彼は言う。

リングノート萌え。

ツイストリングノートにちょっとがっかり

「リーフをやぶることなく簡単に抜き差し・追加できる!」というのがウリのツイストリングノート(製品情報-AQUA DROPs ツイストリング・ノート(メモサイズ)|リヒトラブ)。

こんなの。幅7センチ、長さ12センチくらいのリングメモです。

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プラスチックのリングにバネがついて開閉できるようになっており、簡単に開いてリフィルを抜き取ったり、入れ替えたりできます。やぶらないで済むメモ……なんですが。

リングをつなげている根本部分が太いので、ダブルリングのメモ帳などと違って表紙を裏側へまわしてもぺたんこになりません。こんなふうに。

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実際に使ってみると、がっちりしたリングが裏目にでて、抜き差しはともかくメモを取る際にちょっと面倒なことになります。

めくってもスッと後ろへ回らないでリング部分で折れたりするし、苦労して後ろヘ回しても、ちゃんと収まってくれない。複数枚続けてメモを取る時はイライラします。やぶらなくて済むメモなのにやぶりたくなります。

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ちなみに、説明書(下の画像)にある、最大収容枚数の40枚で写真を撮っています。でもこれより少ない枚数でも状況はあまり変わりません。

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リングを使い回しできるのが便利かもと思って買ってみたのですが、どうやら今ある用紙を使い終わったら「さよなら」になりそうです。

恥ずかしいノートを処分

ずーっと押し入れに入れてあった禁断の段ボール箱を開けてみました。
なぜ「禁断」かというと、中学高校、主に中学生の時に小説なんかを書いていたノートが入っているから。読み返したくもない、けれど処分するにも忍びないというわけで、前回(10年くらい前?)箱詰めして「いつか処分しよう」と思って封印したもの。その「いつか」が来たのです。

箱を開けると、B5のノートやレポート用紙、わら半紙を半分にしてとじたのまで使っていろいろ延々と書いてあるノートが20冊近く。ほかに、授業のノートがたくさん。なかには、表紙に「生徒会議事」と書いてあるのに、途中からいたずら書きや小説が始まっていたりするノートもあります。授業のノートも含め各ノートに必ずいたずら書きがあります。女の子の横顔とか風景とか、誰にも見られないと思っていたんだろうなあ。でも「いまのわたし」という第三者が見てしまうのでした。

問題は、小説類が書いてあるノート。ごく一部ですが、処分するので記念に写真を一枚。

中学生のノート

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ぱらぱらとめくってみましたが、ストーリーはともかく全部手書きの細かい字でB5判のノートがびっしり埋まっているのには我ながら圧倒されました。よくもまあ書いたよ、中学生のわたし!

書いていたのは、たいていは小説、たまにはシナリオ。当時、別役実の戯曲を図書館で借りて読んだり、ラジオドラマをNHKで聞いたりしてたのでその影響かもしれません。シナリオ風のは、タイトルから始まって「両手に血が!」と途中で言ってるのに10ページくらいで終わる長さです。詳しく読む勇気はありませんが、よほどドタバタした内容なのか、未完なのかどっちかです。

それにしても、構成も考えずにひたすら書き続け、何度未完に終わってもまた次のを書くことを繰り返していたのは、本当に書くことが好きだったからなんですよね。未完だろうが変なストーリーだろうが、書くこと自体が楽しかった。そういう気持ちを、いつの間にかどこかへ置き忘れてしまいました。

大学生になってから、「必要もないのに書きたくない」と思うようになり、「お話」は書かなくなってしまいました。ワープロを手に入れたり、パソコンを買ったりして書く手段は便利になったのに、情熱は失ってしまった。あのまま続けていたら、小説家になっていたか?それはないと思います。でも、書くことが好きだった中学生時代の「書きたい気持ち」はいまこそ取り戻したい。なくなってしまったなんて惜しい。いまからでも遅くはないと信じて、自分のなかの、どこかに眠っている気持ちを揺り起こそう(いま決意した)!

でもこのノート群はシュレッダーにかけて処分するぞ!

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ノートなのかな?

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[掲載]2008年05月30日夕刊

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