「絵師と編集者」なら小笠原京

どこかの書評で見かけた、『人魚は空に還る』を古本で入手しました。

美麗な表紙絵だし、「雑誌記者と天才絵師、ふたりの青年が贈る帝都探偵物語」(本の内容紹介より抜粋)だそうで、ふ〜んおもしろそうじゃないの、とチェックしておいたもの。
表紙はこういうの。

登場人物は天才絵師(有村礼)と雑誌記者(里見高広)。1ページめ。

帝都随一の絵巧者との呼び声も高い有村礼だが、天才肌にありがちな気難しさで、悪名高き編集者泣かせでもある。

ふむふむ。

その有村礼が、どうしてか高広の勤める至楽社にだけは好んで挿絵を描くのである。

ほうほう。何か理由があるワケね。でもこういうの、前に読んだよなあ。絵師と編集者? 3ページめ。

「礼、入るよ」
正面には格子窓があり、礼はその側に絨毯を敷き文机を置いて絵を描いていたが、高広が姿を見せると絵筆を投げ捨てて飛んできた。
「ずっと待っていたのに何故来ない」
絵のような美貌でなじるようににらまれては、(後略)

そうきたか。ところで、「絵のような美貌」……って、どんな美貌? いや、男が美貌でもかまわないんですが、美貌を「美貌」と書いちゃうとそこで思考が停止してしまうよ。しかも、絵師の話で「絵のような」とは。有村礼の描く絵も、美人画というが具体的にどういうのかよくわからない。高広の出版社にだけ絵を安く描く理由というのも全体のストーリーにはあまり関係がないようなことで、しかもあっさりと明かされてしまいます。行間を読むヒマもない。足りない。何かが足りないんだよ……! 心の中で叫びつつも読み進めましたがあれやこれやで二話で挫折。事件の解決も、二人の今後も、どっちでもよくなってしまった。短編連作ですが、表題作にもたどりつけませんでした。

設定が似ているので思い出したのは、小笠原京の「旗本絵師シリーズ」。

(残念ながら絶版)

こちらは、旗本の三男だが「武士は嫌いだ」と絵師(下絵師)になった藤村新三郎が主人公。地本屋(娯楽出版物の問屋だそうです)の三番番頭、六兵衛にしか絵を渡さないというので、六兵衛はほかの地本屋から恨まれている。編集者じゃないけど、絵師の担当者という感じですかね。六兵衛はうわさ話が好きで、新三郎のところへうわさ話を持ち込んだり、新三郎のかわりにいろいろ聞き込んできたりする。

新三郎が六兵衛にしか絵を渡さないのはそんな六兵衛がお気に入りだからだと思うのですが、はっきりとは書かれていません。

シリーズのうち、『瑠璃菊の女』(福武文庫)の表題作冒頭。訪ねてきた六兵衛がみた新三郎の姿。

大伝馬町からきて長谷川町の角を曲がるとすぐ、低くめぐらせた板塀越しに、薄縹地に肩から裾にかけて花菱つなぎを白く抜いた着流し姿が縁に立っているのがちらりと見えた。
ついこの間まで板塀の裾のほうにからみついていた咲き残りの朝顔の蔓がきれいに払われて、代わりに桔梗が二、三株、小さいつぼみを持っている。

「絵のようだ」と思います。「絵のような」と書いてあるのとは違います。新三郎は特に美男子だという記述はないけど、さっそうとした姿で歩いているとみんなが振り返るとか、ほかの座敷を放り出しても駆けつける花魁の恋人がいるなどという描写があります。着物についての描写はしばしば出てきます。

「瑠璃菊の女」の中心になっているのは、るりという女です。

るりの夫は、藩の蔵米に関する不正について上役に直言した結果、殺されてしまう。るりは不正に加担した米問屋・瓢屋に素性を隠して入りこむが、蔵に閉じこめられ、辱めを受けつつも夫の仇をとるために耐えている。ふと「物好き」で事件に首をつっこんだ新三郎の手助けもあって、るりは助け出され、不正は明らかになるが、瓢屋には何のおとがめもない結果となった。

その後、るりはかねて覚悟の通り瓢屋の主人を刺し殺し、自害して果てる。その前に瑠璃菊をもって別れをいいに来ていたのを後で知り、新三郎は歯がみするが、「お上が当てにならないとなりゃあ、こうするよりほか仕方がないさ」と涙雨の降り続く空を仰ぐ。

その三日後、六兵衛が訪ねてくると、新三郎は絵を見せる。「瑠璃菊の女」、最後の部分より。

散りかかる花吹雪の中に、小袖を肩にかけ、扇を開いていましも舞い初めたと見える白拍子が描かれていた。昂然と上げた面にみなぎる凛然たる気迫、六兵衛は何も言わない。
「義経記さ」
「こんな女が、いたんでしたねえ」
「うむ」
すべて墨描きの下絵の中で、肩にかけた小袖の小菊文様にばかり、濃い紫紺の色が差してある。
「これは……」
「瑠璃菊さ」
「瑠璃菊、ねえ」
「ああ」
雨は切れ目なしに降って、庭の桔梗もずいぶんすがれてきた。
長雨になるのかもしれない。

ここを読んで、苦労してこのシリーズを集めて読んで良かったなあと改めて感じました(「小笠原京の旗本絵師シリーズ | 秋風夜雨」参照。この文庫本を最後に入手したのです)。同じ本の「桜川の契り」も悲恋が胸に迫り、重要な役割を果たす絵についての描写がすばらしい作品で、おすすめ。

セリフなどの間といい、目の前に見せられるような描写といい、舞台を見ているような小説です。「何かが足りないよ!」と叫ぶ「絵師と編集者」ファンにはこのシリーズをおすすめします。